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腱引き療法筋絡導引術 第21代伝承者

 金沢 潤一郎

大分県津久見市出身 1962年生まれ

マイストーリー

コンプレックス

2014年3月で52歳となりますが、武道、モトクロス、フラメンコ、登山等といろんなことを経験し、自分の求めるものは何かを探していた様な気がしてます。特に武道はいろいろと探し求めてました。小中学生の頃は背が低く痩せていて、運動も苦手で球技はなかなか上達しなかったため、万年補欠でかなりコンプレックスを持っていました。さらに中学3年のとき不当な暴力を受け何もできず、かなり悔しい思いをしました。ちょうどその頃流行ったブルースリーの映画の様にかっこよく強くなれたらなぁと思い、コンプレックスを解消するためにはこれしかないと武道を習い始めました。
あれから長い年月が経ち、いろんな武道を経験して、いつの間にか人に教える様になってました。あるときにふと、までやってきたことは自己満足ではなかったのだろうかと思いました。すごい技ができると言っても一般の人からすれば、それでと言うくらいなのです。これ以上武道に何を求めるのだろうかと考えてしまいました。よく道場訓等で”社会に貢献・・・”とありますが、貢献等してないし、団体内での揉め事にも辟易していました。それに、もともと争うことが好きではない性格なのです。

求めていたもの

その様なことを考えていたとき”秘伝”というマニアックな武道雑誌に腱引きの受講生募集の広告が目に止まりました。2010年4月でした。ちょうど腱引きの師匠である小口先生が、絶滅しかけている腱引きを世の中に残そうと、初めて広告を出したときです。これならば武道で社会に貢献でき、さらに改善率90%であれば本当に困っている人を助けることができるのではないかと。よくわかりませんが直観というものでしょうか。
東京で研修会が開催されるため、受講料にプラスして、交通費・宿泊費で結構な金額になります、妻にどうしてもこれを受けて修得したいと説得し、了解してもらいました。同期の仲間が自分以外は全員プロの治療家であり、意識レベルが高く、よき仲間を得ることができました。
東京での研修中に四国からきた50歳過ぎの脳性マヒの方の施術を間近に見る機会がありました。生まれて初めて万歳をすることができ”すごい、すごい”と言っているのを見て、目の前で奇跡を見た様で涙がでてきました。今までいろいろなことをやってきましたが、求めていたものにやっとたどりついた様に感じ、これを極めるしかないと心に誓いました

兼業

大学を卒業して東芝の技術系関連会社に就職してから、半導体(ICのチップ)の技術的な仕事をしていました。勤務地は大分14年・四日市7年・横浜3年・四日市5年で、四日市・横浜時代の15年は家族を大分に置いて単身赴任をしていました(よく大変ですねと言われましたが、好きなことやってたので結構気楽でしたが・・)。
2010年12月に腱引き師となった当時は四日市に住んでいたため、会社員をしながら夜や休みの日に患者さんの施術をしていました。人・社会のためになることをしているので、会社側に話して正々堂々と施術をしていました。患者さんへの施術は調子がいいときもあったり、改善できなくてへこむことがあったりと、一喜一憂の繰り返しで、仲間からアドバイスをもらってうまく改善したりと、レベルの向上に努めました。いろんな相談にのってくれる仲間は本当にありがたいものです。

弟子

四日市で施術を続けていたら、武道関係の仲間から教えてほしいと言われる様になり、いつの間にか名古屋・岐阜・三重・徳島に9人の腱引きの弟子ができました。自分が腱引きを始めたことで、賛同してくれる人がこんなにでてくるとは思ってもみませんでした。居酒屋店主、役者、警官等いろんな職業の方が多いのですが、特に徳島大学の大学院生ビクトリアはアメリカ人女性で初めての外国人の弟子です。私が彼女の膝の施術をしたことが、彼女が腱引きを習うきっかけでした(どこに行っても治らずあきらめていた膝痛を5分で改善したので感激したらしい・・)。徳島へ行って指導しているときに彼女から”なんで日本に来たのかよく聞かれるが、日本文化に興味があるからと適当に答えていた。今ははっきりとわかった、この腱引きを修得するために日本に来たのだと”と言われました。この言葉を聞いたとき、その純心な心に打たれ、損得抜きで教えなければならないと思いました。
彼女が2012年末に大学の留学生学会で腱引きのことを発表したところ徳島大学の教授の間で評判となり、看護・医学系の学生に講義してほしいとの依頼がありました。一人では力不足なので、小口先生にも依頼し、2013年5月に徳島大学で私と小口先生で講義を行いました。これがさらに評判となり、モンゴル国立健康科学大学との交流が始まり、徳島大学とモンゴル国立健康科学大学で腱引きの共同研究がスタートする等、いつのまにかアカデミックな話になってます。なんだか不思議な縁がつながっていくものです。日本古来から伝わった腱引きの技が筋整流法で昇華され、それが世界に認められて、広まっていくという夢が広がります

2012年12月 徳島大学留学生学会でのビクトリアのすばらしいプレゼンです。

学会での質疑応答です。

ビクトリアの”日本は本当に美しく貴重な秘伝を持っていて、あたかも宝石の様なもので、世界はそれを知るべきだと考えている”との言葉を聞き、日本古来から伝わるこのすばらしい技を継承し、遥かなる世界・後世に向けて伝えていかねばと思いました。


決断
四日市で施術をして患者さんから感謝の言葉をいただく度に、これが天職ではないかと思う様になってきました。いつかは故郷の大分で専業の道場を開きたいと思っていましたが、大学生、高校生の子供もいるので、決断には至っていませんでした。

2011年3月に東日本大震災があり、多くの犠牲者が出ました。自然には逆らうことができず、人の命ははかないものだと思いました。このときは徐々に気持ちが固まってましたが、まだ迷いがありました。
2012年の夏に会社の上長から一年後に横浜の本社へ戻ってくれと話がありました。これをきっかけにシンプルに考えました。仮に70歳で死ぬとすれば残り約20年、自分の娘が生まれてから成人した年月である。あっという間だったな。こんな時間であれば、腱引きを極め、伝えていくためには残り時間が少ない。会社の仕事はある程度の地位になり、安定した収入も得られている。このまま定年まで続けたほうがよいと言われるのが普通だろう。だけど今の人生は一度しかなく、命が尽きるときに悔いを残したくないと思い迷いはなくなりました。2013年7月で退職し大分で道場を開くことを決断しました。反対されるかもと思いながら自分の想いを妻に相談すると賛成してくれました。ただし課長という立場であったため、まわりはすんなりOKとは認めてもらえませんでした。部下もいるし本社での次の業務体制の構想もあったので当然のことです。一年かけて関係者を説得し、自分が抜けたあとで影響がない様に後任の組織体制を築きました。最後は会社の方々から声援をいただいて円満に退職することができました。

修行(柳生心眼流)

筋整流法の腱引きを学んでから、その源流である柳生心眼流の活法を学んでおきたいと思いました。2011年2月からご縁があって柳生心眼流 島津兼治師範の柔ら医術研修会で活法を学び始めました。柳生心眼流の活法は一子相伝で本来は口外しないが、小口先生が腱引きを公開したため、自分の代で伝承を終わらせないためにも公開するとのことでした。古武術界の生き字引きと言われる本物の武道家から直接学ぶ機会は二度とないでしょう。これも縁なのだと思います。柔ら医術研修会が終了後、島津師範は腱引き師対象の殺活法講習会を行ってくださり、そこで柳生心眼流の活法免許をいただくことができました

修行(筋整流法本部道場)

四日市で兼業にて施術をしていましたが、自分はまだまだでレベルを上げたいと思ってました。大分で開業すると周りには腱引きの仲間が誰もいなくなり、自分で治すしかありません。腱引きの腕を上げるためには、いろんな症例の患者さんが多く来院する筋整流法本部で修行べきだと思い、退職後2ヶ月修行を行いました。本部は全国から難しい症例の患者さんが多く来院し、いろいろなことを学ぶことができました。短い期間でしたが、私を指名してくれる患者さんもできてありがたかったです。

修行(浅井治療所)

浅井治療所の浅井先生とお会いしたのは2013年2月の腱引き大阪伝承会でした。小口先生の招待で浅井先生が初めて腱引きを見学にきました。ちょうど相撲取りのS司とK司が施術を受けにきました。腱引きの仲間が施術しましたが、あまりにも体がボロボロで苦戦しました。そこへ浅井先生が施術をすると言い、ゴムトンカチでトントンやって、あっという間に改善するではないですか。腱引き以外にもすごい療法があったのかと衝撃的でした。骨を調整する施術でここまで一気に改善する施術を見たことがありません。是非この施術法を習いたいと思いました。浅井先生は中学生の頃から施術をしていて、どこの組織にも属さず一匹狼で日本トップレベルの施術を行ってます。天才的な施術ですので弟子がいません。そこをなんとか小口先生から浅井先生へお願いしてもらい弟子入りの許可をいただきました。
本部修行の後は大阪の浅井治療所で修行です。修得のカリキュラム等はなく、施術を手伝いながら覚えるしかありません。浅井先生の施術は骨電位理論といい、指の先で電位が感じ取れる能力が要求され難易度が高いものです。幸いにも私はその能力があった様で短い期間ですが修得することができ、骨電位理論を継承する一番弟子となりました。浅井先生からは施術以外にも一流の施術者としての心得等を学ぶことができました。本当に感謝してます。

開業


多くの方の応援をいただき、感謝の気持ちを持って2013年11月に大分市賀来で開業しました。古来から伝わる腱引き・浅井流骨電位理論を継承する者として、私や私が伝えた弟子が社会に寄与貢献することができる様になって、私の武道人生は完成するのではないかと思ってます。残された人生は、腱引き・骨電位理論を武道の修行として取り組み、人に感動を与える生き方をしていく所存です。








人生訓  何処で生を成してもその心は止まることなし、天空を駆けよ志を高く持て




趣味
バイク(昔モトクロスやってました)   登山、キャンプ


システマ(ロシア武術・システマ東海の仲間です) 




特技
 フラメンコのセビジャーナスが踊れます



好きなもの
 温泉、ビール、ラーメン


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